Tao

喜びを感じる力を高める練気功 

生は驚くほど不安定で神秘的である。

自然の神秘、たとえば、小さな花の花粉の中にいる小さな虫の足の動きに大宇宙を感じ、夜空の星や満月の美しさをみつめる自分の小ささを感じ、川の水の流れや、大きな木の中に悠長な時間と人間の生を感じる

 

生は驚くほど不安定で神秘的である。

素直な人間関係とは協力だけを意味しない。出会い・別れ、争いもある、笑いも涙にも満ちている。不安も喜びも悲しみも愛と同じようにある。人間の目の美しさと輝き、笑いや涙、ハートの鼓動、愛、怒り、憎しみ、一体感、不安と深いやすらぎ、興奮と静寂、

マインドフルに(心を込めて)行う小さな事に宇宙の神秘を感じる

そういう力を、だれもが内側に秘めている

 

(身体からの調和=シンセシス)

「気」という言葉は日常的にあるいは哲学的に使われているにもかかわらず、実体は誤解されている事も多い。永年気功や太極挙をしている人でも、「気のせい」ぐらいの漠然さでしか捕らえていない。正しく段階的に目覚めさせ育てて行けば、気とは強烈な光として、熱としてあるいは力として、非常に鮮明に体感出来るものである。病気の回復、健康、「喜びを感じる能力」という個人のレベルに調和をもたらすだけでなく、対人レベルそして、より大きなトランスパーソナルなレベルでの調和を生み出すことが可能になる。

タオ(道)の道には、いくつかのハードルを超える手伝(ガイド)が必要です。

たいていは、極めて簡単な手伝いですが、ないとなかなか超えられない

たとえば、運動選手がほんの少し小指の力の入れ方をリズムに合わせて

ゆるめる事により、全身の動きが大きく速くなるように!!

練気功の段階

  1. 道中記(練気功をしている人へのメッセージ)

稽古とは一より習い十を知り、十よりかへる、もとのその一 ----千利休---

  1. あなたは 自分にとっても 良き友達であり 父であり母であり 先生であります。自分のこともケアしてください。
  2. 自分でつくった地獄    
    1. 地獄絵図
  3. オープンハート

         ハートを開く

        ハートフルであること

         シンプルライフについて

  4. マインドフルであること(瞑想・日常の仕事=作務)

            ★★★★そんなに効果のあるモノなら瞑想をする人が増えないのはなぜ?★★

練気功の段階

フィードバック

自然な身体の姿勢・無理のない運動能力が育って行くと、例えば、ゆっくりと・しなやかに歩けるようになります。背骨がしなやかにしなり、仙腸関節の動きにも気がつくようになります。歩くことにいろんなバリエーションがあることがわかるようになります。また、日常の動作でも、身体が、一番楽で自然な動きを教えてくれるようになります。ちょうど、名人のお茶のお手前で、もっとも、合理的で自然な手の動きが出来たり、楽器を引く指がいとも簡単そうに動きます。

呼吸につながる身体の動きに「気」をはらい、無理のない自然な息が出来るように不断の練習をして下さい。練気功に関しては、「時間がない」という言い訳はできません。というのは、呼吸は忙しくても、寝ていてもしているからです。電車に乗っているとき、車を運転しているとき、歩きながら、寝床の中など、いつでもできます。出来れば、15分を一単位として練習してみて下さい。しばらく、意識的に呼吸を練習し、自分の潜在意識に気がついてゆっくりと呼吸するようにと働きかけると、「気持ちが良くなってきて、ぽかぽかと気持ちが良い、おなかや胸の中に暖かいものが流れる感じがします。自分の中に幸せを感じます。」がんばりすぎると、そうはなれません。中庸ということです。弦楽器の弦のようなもの。締めすぎないで、緩めすぎないことです。さらに、積み重ねてゆくと、疲れが早くとれ、気力が出てきて、することがはかどり「時間が出来るようになるのです。」おもしろいもんですね。なによりも、すごく充実し気持よい気分でいられることです。もちろん、それは嫌なことがなくなるという事ではありません。特定の「人・モノ・事」が自分の気持ちを一瞬にして暗くする事があるものです。その時には脱同一化=「気」の切替をして、自分の気持ちが萎えるのを防ぐしかありません。

なかなか気功が出来ない人は、自分のしている仕事や次にする事が、どれだけかかるか予測がつかないから、目の前の事を解決してしまうまで、不安で取り組めないからではないでしょうか。五分で出来る仕事のリスト、15分で出来る仕事、一時間で出来る仕事のリスト等を作ってみれば、自分の時間の整理がしやすくすなります。

道中記

今までの参加者へのメッセージをまとめたものです。

稽古とは

一より習い十を知り、

十よりかへる、もとのその一

        ----千利休---

古本屋で、何気なく買ってしまった「茶人の言葉」という中にあった千の利休の言葉です。千回積み重ねることよりも、最初の一回をすることの方が難しい。その最初の一を大切に、ていねいに心を込めて(マインドフルに)完成する事が、千回目の完成に繋がるけれど、最初の一がうまく出来ていないと、何回やっても完成しない。うまくできているかどうかを知るには、工夫をこらし練習し、初心に還り、最初の一をやってみることです。これは、何の世界にも言えることではないでしょうか。千回してみてくださいと伝えた基本的な呼吸法、もう二千回できていても不思議ではない時期(二千年の一月)です。まず、最初の千回にたどり着きませんか。百年前に冬のヒマラヤをあるいて越えた川口慧海は、外国の記者に、「どのようにしてヒマラヤを超えたのですか?」と聞かれました。「一度に一歩ずつA step at a time.」と答えたそうです。カルマッパが、12月31日にチベットからインドへヒマラヤを越えて亡命したニュースを聞いて、慧海の事を思い出しました。慧海は、座禅状態で睡眠を取り、毎朝気がついたときは、自分が雪に埋もれていてたそうです。彼もチベットの僧達も、寒いヒマラヤでも熱をだす座り方と呼吸法(ツンモ)を身につけていたのです。より完成した、座り方と呼吸法を、2000年の最初に、初心に還って練習しませんか。

あなたは自分にとっても友であり教師であり父であり母である

あなたは

自分にとっても

良き友達であり

父であり母であり

先生であります。

自分のこともケアしてください。

自分の弱さを見ないで好きな事だけ強くなる努力は簡単です。

自分の弱さを見ないために好きなだけ他人のケアをするのは簡単です。

自分の弱さを嘆き悲しみ同情するのはもっと簡単です。

自分の弱さを他人にさらけ出して見せかけの同情だけをえるのは

実は簡単だったでしょる

でも、

自分の弱さを攻めないで、逃げないで、

ケアする事は簡単でありません。

心の中の子供に、代用品を与えないで、本当に大切なことをしてみませんか。

まず、

すべての作業をやめて眼を閉じて

ゆっくりと息をしてみてください。

自然な呼吸が起こるのを許すのは

本当に難しいことです。

努力してしまうからです。

努力をして複雑な呼吸をすることは簡単ですから、

そこから始め、だんだんと

タオ(道)の無為自然な呼吸がおこります。

一回でそういう事は起こせません。

十回のうち一回おこるのはかなりの人です。

千回ぐらいやろうと努力すると十回ぐらいは、心をこめた(マインドフル)な息ができるかもしれません。

そして、一回ぐらいは自然な呼吸が起こっているかもしれません。

十よりかへる、もとのその一

2000年3月の案内のメッセージ

地獄絵図

地元の小学校に同窓会の住所録を届けに行ったら教務主任の先生が、コンピュータの前で仕事をしている。よく見ると、プラスチックのゴーグルとボールの様なものを「おでこ」と「こめかみ」にしている。「それなんですか」と聞くと「頭がいこたくなると、これをする。目とこめかみを冷やして気持ちがい。」この先生は仕事熱心で、先生やPTAからは人望があるとされている。

身体が「お願いだから、もうやめてくれ」と頼んでいるのに、聞く耳をもたない冷酷非道の最も非人間的な虐待をする人に見えてしまった。自分で作った仕事の地獄!

そういう私も食事は結構短時間で食べてしまう。

日本人は、昼食を10分位で食べる人が多い。アメリカ人は仕事をしながらサンドイッチを食べる人もいる。

昼食に二時間から二時間半かけるラテン系の人からすると、

「人生の貴重な一日、人生で一番の楽しみである事を一番元気な時にしない」なんて考えられない。

ゆっくり昼食とその後の昼寝(当然Hも含むようです)をしないで

一生を終わってしまうなんて「奴隷か馬車馬の人生だ」非人間的な人生だと考えている。

*****************************

気功やヨガをする人が朝早くから修法しているのを見たり聞いたりして、つらい苦行をしているように見えるらしい。

「でも、効果はあるらしいから、二時間は無理だから10分ぐらいはしてみようか」

そんなときの10分で何が出来る?

十分ではお米だって炊けないし、魚だって料理できない。生煮えのご飯に、鱗(うろこ)のついたまま食べたって

おいしくない。

料理の一つ一つは簡単ですが、習った方が、おいしい。

ならった上で、元気なときに十五分ぐらいを毎日繰り返すと効果はでてくる、

一日のうち、一番に元気で気持ちの良い最良の時間にやるから、最良の気持ちよさが味わえる。

寝る前に十分に気功やヨガをして緊張を取って寝れば、快眠できる。そして、朝が一番元気で気持ちの良い時間です。

その時に至福の修法をする。当然、仕事もはかどる

疲れ果てた身体では朝早くは起きられないし、夜は眠くて出来やしない。

慢性疲労で睡眠不足の人には、朝起きることはつらい。当然、朝の体操なんて、つらい地獄の拷問にしか過ぎない。

「今」の日本には、奴隷制度もないし、安全だし、食べるものもある。

自分のやりたい事をして作り上げた地獄にいるのですね。

「どっちの地獄?」

変えるのは自分だし、だれも強制していない。、

「どっちでもお好きにどうぞ!」

 

Open Heart

ハートを開く

八月のコメントが、遅れました。

内容的に、書くのにすごく、エネルギーと時間がいりました。結構長いですが、つきあってくださいね。 

      目次

1ハート(チャクラ)を開く

     始めに

2 ハートフルであるとどうなるの

  日本でハートフルであることはどうして難しいの3 感情的に成ってはいけませんとは?

4 ハートのワークが出来にくい事

5 このハートチャクラが動いた時の実感

6 押さえられた感情はどうなる

7 ハートを活性化のワークの体験

8 ハートチャクラを覚醒するのと同時に

9【「禁止」や「努力」ではない瞑想=「接心」「止観」】の習慣を

10 ピーク(絶頂感)体験だけは、ホリスティックではない

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10 シンプルライフについてのワークについてのコメント

11. シンプルライフから来る喜び

================================本文================================

 

1ハート(チャクラ)を開く

1-1始めに

●久しぶりに、すこしだけハートチャクラを動かすことをしてみました。正直言って、ハートを開くワークをする事に戸惑いを感じており、今回も含めて、触りだけしかしていません。ハートを開く方法が難しいのではありません。私には、『日本は、あまりにも「ハートフルである事=気持ちを開けていること」が難しい社会である』としか感じられないのです。社会とは、特定の人ではなく、それぞれの人の「名前」が消えて、役職や立場としての役割に為った時や「みんな」と呼ばれる様に為った時に、お互いにハートフルであることを、禁止してしまうのです。とは言っても、ハートフルでいられるグループは確かにありますし、そういう様にめざしているのですが、、、。より具体的にふれます。

 

2ハートフルであるとどうなるの

●ハートチャクラは、「愛Love」の中心です。日本語で言うと「気持ち」の中心です。ここが働き出すと、「うれしいことや悲しいこと」がいままで以上に感じられます。ずいぶん前にも、書いたことですが、練気功のプロセスで、「今まで、気がつかなかったような感情に気がつくようになります。ムッとしていたことに、カーッと怒るようになります。ニコッという嬉しさが、有頂天に喜ぶことになります。ちょっとしたガッカリでも、立ち直れないぐらいに感じます。」【そういう「豊かな感性」を持ちつつ、「善意ある意志」と統合(シンセシス)することがサイコシンセシスの目的です。】

 

日本でハートフルであることはどうして難しいの

●感情をストレートに豊かに表現することは、今の日本の社会では、なかなか辛いものがあります。幼い時から「我慢しなさい」「悪いところを直しなさい」と「しつけ」られて来ています。「永遠に注意される」と感じていた人も多いことと思います。【気働きをしなければいけない反面、なかなか感じるままに気持ちを表現することが許されないように思います。】ストレートに反応すると、「子供っぽい」と馬鹿にされるのです。★★「ハッピーな時に笑わないで、失敗したときに笑う変な大人の日本人」が出来てしまいます。★★●アメリカの教育風土では、うまくできた所を言葉と表情で祝福して、自己尊重の意識(セルフ・エスィテーム)をそだて、「もっと良くしてゆこう」というアドバイスを受けます。結果的には、まったく違った精神性が育ちます。(文化差であって、善悪は相対的なもの)

 

3感情的に成ってはいけませんとは?

●感情には、幸せな感情や悲しい感情など多面性があります。日本では「感情的になってはいけません」と言うのは、上の人からは、注意されても、怒られても、あなたは「怒ってはいけません」という事を意味します。

●「泣くことや涙を出すこと」は、最後には、許されているようです。ゴタゴタのあった会社の記者会見などで、経営者が涙を見せ、泣きながら(多分演技でしょうが)釈明しています。「西洋型会社の理念」からすると、「会社経営は合理的な判断でしなければならない」ので、怒りで抗議することは許されても、「泣くこと」は絶対にしてはいけないことです。【西洋型も無理はあると思いますが、、、】

 

4ハートのワークが出来にくい

●ハートのチャクラを動かすワークをするのは、たいていの日本人にハートのは、かなり辛い物です。「一日の仕事を勤務時間を超えても終わらせない人。仕事を家に持って帰る人。それが、毎日で、休日でも、仕事をする人」。か、自分のケアの為に使わない人。有給休暇を取らない人。目的のない努力をするひと(目的依存症)、たとえば、「勉強or仕事」の為の「勉強or仕事」をしている人。そうしてしまっている人や、そうせざるを得ない立場の人には、自然な感情のながれ程、じゃまなもらはないかも知れません。「おちこんだり」「ハイになったりする」という感情のリズムと、日常の仕事のリズムとは一致することはありません。さらにもっと悪い状況の日本人がいっぱいいるようです。「他人からの感情的非難(いじめ)を避けるために、自分の仕事の世界に閉じこもる」ばあいもあるようです。

●そのような理由などで、気持ちを解放してやるのには、まず、身体の緊張の解放が必要です。そして、信頼の置ける人のつながりが必要です。善悪を説く人や評価分析でをしてくれる人はいくらでもいますが、受容性の高い人達(Forgiveness)は、なかなか見つかりません。「どうしたら、受容性の高い人達(Forgiveness)を見つけることが出来るのでしょうか」まず、「自分に対しての受容性」を持つようにすることですね。焦らずに、時間をかけないとしょうがないですね。受容性のある振りをしている人かハートフルな人かは、数年かければ判るでしょう。そして、自分も受容性が高まってくる事でしよう。マインド(脳での思考)は、待つことが出来ないけども、ハートフルになると、待つことが出来るようになる。

 

5 このハートチャクラが動いた時の実感

●「胸がキュンと来る」、「胸が高鳴る」、「胸が張り裂けるように痛い」、「胸が締め付けられる」などと感じます。「精神(spirit)」の面でハートが働いているときは、この「愛love」を「痛み」として感じます。キリストの心臓に茨の棘が巻き付いた絵(Sacred Heart=聖心女子大の聖心の意味)を診たことがあるかも知れません。「愛love」に溢れていて、ハッピーではあるけども、同時に悲しみも感じている。二つを同時に感じるという事です。

●こういう体験は、生理的な心臓が悪いときにも感じるのです。気持ちを押さえる事がくせに為ってしまっている人が、そういう事を体験すると、「心臓の病気にちがいない」とパニックになり、それがショック症状を引き起こしてしまいます。それで、お医者さんにみてもらう事になるのですが、

●日本の「知的エリート?」である多くの医者達は、「あなたの心臓は別に異常ありません。」たぶん、「気の性でしょう。」といわゆる「心身症」の一部であると、否定的に捕らえて理解を示そうとはしません。

●とんでもない、そういうハートの体験は、「植物の芽がでる」「好きな人と目が合う」など、どんな小さな出来事にでも、誰でも感じるものです。(自分で禁止していなければ)ハートが「spirituality(精神性)」な面で大活躍しているときには、言葉のレベルを超えて、直接的に、人に対するつながりを感じ、痛みや喜びを分かち合うことが出来るのです。現代の物質文明社会の中心に行けば行くほど、「物事の病的な面しか観られなくなってしまう職業的人間観が育ってしまう様なのは残念なことです。」

 

6 押さえられた感情はどうなる

●無理に、押さえ込んだ感情のエネルギーは、決して死んでいるわけではありません。「忘れたい」と思っても、机の下に転がって行ったゴミの様に、忘れているかも知れませんが、消えているのではありません。掃除するまで、居続けます。そして、身体に意識に絶え間なく表に出ようと、動き続けるのです。それが、病気となって現れたりします。

 

7 ハートを活性化のワークの体験

●ハートチャクラのワークを始めると、我慢していた人ほど、あらゆる感情が、とめどもなく湧いてきます。理由なく、涙が出てきます。この段階で、「自分がおかしくなったのではと感じて、いわゆる専門家(分析主義の医者やカウンセラー)の所に行くと、情緒障害や○○後遺症などと、診断されることになります。確かに、感情が不安定ですが、ハートのリズムは、ゆれるものです。インドのバクテイ・ヨガのグルのエピソードです。『ある時に「奴隷を鞭で打つのをやめてくれるように」と頼んだけども、ムチで打つことを止めなかったら、グルの身体にもムチで打たれみみず腫れができた。それをみて、奴隷をムチで打つことを止めた』こういう能力は、超能力ではなく、だれにもある物です。現実であれ、ニュースであれフィクション(映画・芝居・小説)であれ、人の苦しさ辛さや嬉しさを、感じ取るという能力は誰にもあるのです。たぶん、誇張されたフィクションの方が、強く感じる事でしょう。

●ハートチャクラを活性化する内に、次第に感情が豊かになってきます。今まで、気がつかなかったような感情に気がつくようになります。良い体験だけではなく、同じように、否定的な感情も込みあけできます。集中したり、軽くふれる事、「気」を送る事で、いっぱい我慢してきた感情が「なみだ」といっしょに、こみ上げてきます。すこし、体験した人がいたようです。

●(ハッピーな体験は、記憶されにくいが、ストレスのある辛い体験は、すぐに記憶されてしまう)という脳神経の生理的特性で、たいていこみ上げてくるのは、押さえ込まれた「怒り」「くやしさ」が多いのです。日本の社会では、私も含めて、かなりたまっている様です。のハートチャクラをストレートに覚醒するのは、なかなか辛いものがあります。

 

8 ハートチャクラを覚醒するのと同時に

●感情の起伏をそのままに心いっぱいに表現すること(遊ぶこと)が一番望ましいのですが、、いわば感情のサーフインする事は、なかなか許されることではありません。それで、バランスを取る努力も同時にすることですね。

 

 

9 ★【「禁止」や「努力」ではない瞑想=「接心」「止観」】の習慣を

●ヨガや気功は、どちらかというと、目的追求型・開発型・努力型の修養法です。それは、効果のある方法ですから、そのままで良いのですが、そのほかに、次の次元の方法があります。

●感情が高まってそれを消したり抑えようとするのは、集中であり、瞑想ではありません。我慢をして、決して押さえ込むのが瞑想ではありません。

●感情の流れを禁止するのではなく、止まってそのまま流れ去ってゆくのを観る(止観=天台宗の用語)、あるいは、ありのままの心に接する(接心の行=禅宗の瞑想法)という方法を取ること事です。こみ上げる感情の流れに気がつき、あるがままに、流してゆくことです。インドやチベットでも、池の水と表面の波のたとえをしています。天候が荒れて、波が立ち水が濁ったときには、押さえようとはせずに、ただLet go. 為るに任せるという事です。白隠禅師は「さわりゃ濁るぞ谷川の水、問うな学ぶな手出しをするな」人間本来の自性として感情の波は自然に静まってゆくと言うことです。

 

10 ピーク(絶頂感)体験だけは、ホリスティックではない

●「幸せの一部ピーク(絶頂感)だけを体験したいけども、最悪の感情は体験したくない」というのは、人情かも知れませんが、それはホリスティックではありません。「一つの感情がつよくなり、最高点を向かえ、それが静まってゆく」という最初から最後までの全部のプロセスはつながったものです。そして、ピークはプラスの感情の波にもマイナスの感情の波にも、両方ともにあるのです。マズローは、人間の人生においての「ピーク体験」が大きな影響を与えるといい、トランスパーソナル心理学では、トランスパーソナルな体験が大いなる影響を与えると主張しています。その通りですが、それだけでは、不十分だと感じています。

●人間はハートだけてはありません。また、マインドだけでもありません。身体だけでもありません。魂だけでもありません。全部が同時に存在しています。それが、練気功でもサイコシンセシスでも、どのようにしてガイドしてゆくかの難しいことです。選り好みせずに、感情も思考も身体も高次な意識も、全部をホリスティックに体験する内に、育つのが大いなる智慧(プラジナ)です。

 

以上です。

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シンプル。ライフについてのワークについてのコメント

 

●ワークでは、産まれてから今まで、個人の生活でどれだけ豊かに為ってきたかチェックリストを使って、思い起こすことをしました。物質の面では、幼い頃や子供の頃には、夢と考えていた事が、次々に実現してきた、そういう実現体験の一つ一つに幸せを感じるものですね。逆に、何でもある環境に産まれた事は、幸せを感じるチャンスを逸している様ですね。キリストは、「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴をとおるよりも難しい」と言っています。

●最初からある物や長く使ってきた物には、喜びと感謝は感じていないようですね。突然なくなると、無いことの苦痛として実感するようです。私の家で今年の春先に、湯沸かし器が突然壊れてしまって、朝、手の切れるように感じる水で、顔を洗うことになって、幼稚園か小学校の頃、冷たい水を我慢して、顔を洗っていたことを思い出しました。

 

●現在の地球資源からいうと、今の消費型のライフスタイルでは、「より大きく」「より沢山」というライフスタイルでは、存続が出来ません。

 

●一人の人生の時間という視点から見ると、沢山のものを持ってしまうと、持った「もの」の為の場所と管理の時間が必要になります。つまり、そのために自分のやりたい事が何も出来なくなる。「私の人生は、私の沢山の持ち物の為の倉庫番か掃除当番にしか過ぎなかった。」という事になりかねません。「複雑なもの」「いらないものに「さよなら」と、持たない自由に「感謝」を!

 

シンプルライフから来る喜び

 

●チェックリストを使った後の、シェアリングで、「缶ジュースを二本も一人で飲んだこと」「自分のお金(初給料)で行きたいと願っていたレストランに行ったこと」などの、ハートフルな体験が聞けました。

 

●ベトナム難民の人から直接聞いて印象に残っている事を紹介します。「ベトナムにいるときには一週間に一度、仕事の後でビールを飲むことが幸せを感じる瞬間でした。日本に来てからは、仕事の後、毎日ビールを飲むことができる。」と喜んでいました。

 

●一つのおにぎりやおかゆをニコニコしてうれしそうに食べれる人、アイスクリームに幸せを感じ、我を忘れて食べる人、、実はすごくシンプルな事です。禁止するという「躾」をしてしまっているには、なかなか出来ないことでしょうね。

 

     「アイスクリームは四歳の時が一番最高である。」 M. Jones

 

●ライフスタイルをシンプルにすることは、実は十分に考えを巡らせて選択するという統合力の結果です。とつぜん、何かを奪われ、粗末なみすぼらしい生活をするのとは違います。

 

 

★★人間の心は、ライフスタイルを選択することができる。★★

 

       

2000年7/8月

★★★★★★★マインドフルに自分に出会う★★★★★★★

マインドフルな瞑想がもたらす、

本当にかずかずの効能はホリスティックとしか言いようがありまません。

 

身体面(疲労の回復・免疫力の強化・不眠などの解消)

精神面での安らぎ、落ち着き、しづけさ、こみ上げてくる「愛 love」などなど、です。

そして、現実の仕事での、集中度、生産能力など、

 

★★★★そんなに効果のあるモノなら瞑想をする人が増えないのはなぜ?★★

 

いくつかの答えがあります。

 

一つは、日本人は疲れすぎていて、瞑想のつもりが睡眠になってしまいます。

 

二つ目は、身体が緊張しているために、我慢比べにすぎなくなります。

 

   ワークショップでは、最初にリラックスや相互マッサージをして、

   十分な呼吸法をして、軽い昼寝をして、疲れを取ってから瞑想をします。

 

三つ目は、瞑想の時には、思考過多になります。「瞑想していると考えつづけるこ と」です。

 

四つ目は、瞑想の時に「イメージワークをしてしまうことです」

  イメージを使うことは、方法としてあるのですが、実際の呼吸や身体の動きに

たいする身体の意識がないまま、視神経だけが働いてしまう。

 

五つ目は、現代人は口では、「安らぎが欲しい、安心したい」とはいうものの、

 

    実際は、一人になってしずかにしていることに恐怖を感じてしまうのです。

    本当は、安寧(やすらぎ)ではなく、興奮をもとめていることが多いのです。

 

かってニューエージと呼ばれる頃のさまざまなセラピーでも、

内なる自分にうごめいている、自分の古傷の痛み、不安などは、いらない。

でも、いい気分にはなりたいという人が押し寄せていました。

選り好み(よい・悪いの二元の分別意識)そのものが、一番の障害です。

 

  ☆☆私事の恥さらしですが☆☆

私もしばしばパニックになる事があります。

たとえば、スキーに行った時に、「手袋をなくした」と思った瞬間に、

「あっ、どこでおとした?」と思い、探し出すのです。鞄の中、

歩いてきた道、いろいろ探したことがあります。いくら探しても

ないのです。「ない」と思っているので、実は手袋をしてあちこち探している自分の手を見ることはしないの です。

思いこみが強いと、あるいはイメージが強いと、本当の手袋をしている

てではなく、「手袋をしていない自分の手のイメージ」が見えてくることもあります。

 

人間は、本当にあるがままを見ることは難しいことですね。禅の「照顧脚下」です。

昔の禅者は、いろいろそういう事で、自分も含めて人間を笑い飛ばしています。

 

☆★☆☆☆☆マインドフルであることの難しさと、その効果☆☆☆☆★☆

本で読んだことですが、アメリカ軍の海兵隊の救助隊では、

装備の指さし点検を三回させるそうです。

そして、三回目の点検で、欠けている装備に気がつくことがあるそうです。

 

本当に、マインドフルである事は難しいですね。

瞑想にいたるいくつかのハードルをこえる手伝が必要です。

たいていは、極めて簡単な手伝いですが、

たとえば、運動選手がほんの少し小指の力の入れ方をリズムに合わせて

ゆるめる事により、全身の動きが大きく速くなるように!!

 

2001/08月 

★★★★★★★マインドフルに自分に出会うパート2★★★★★★★

八月のワークショップは、マインドフルな二つのタイプの瞑想の他簡単な作業をマインドフルにすること(作務)に取り組みます。マインドフルである事がもたらす効能はホリスティック(全人的)です。

☆身体面(疲労の回復・免疫力の強化・不眠などの解消)

☆精神面での安らぎ、落ち着き、しづけさ、こみ上げてくる「愛 love」などなど、

そして、現実の仕事での、集中度、生産能力など、

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

       内容

パート1. リラクゼーションと練気功法

パート2.マインドフルな(心を込めた)瞑想 (内観=内省型)

パート3. <<マインドフルに昼食を食べる>>

<<マインドフルに歩く>>

パート4.マインドフルな(心を込めた)瞑想 

   (クリエーティブ・イマジネーション=ライフ・プランニング型)

パート5. マインドフルに動作(作業)をする

     (スポーツ能力開発型のイメージワークも取り入れます)

 

 

 メールアドレスは hal4life@theia.ocn.ne.jp

私の練気功に関して、詳しくは次をクリックしてください。

http://psychosynthesis-japan.net/tao.html

 

谷ユリさんからのワークショップの感想です。今回は

「マインドフルに自分に出逢うパート2」でした。前回の受動的な瞑想ではなく、

マインドフルな状態で、能動的に作業するという事をしました。アクティブ・イメージワークとも言えます。

 

しっかりと、呼吸が出来て、その動きの中で丹田に力がはいると (詳しくは、文字では言えません)

押されても・引かれても、「片方から押されて、反対から引かれても」びくともしなくなります。

 

 

☆気功をしているほとんどの人や先生は、一番最初の部分が出来ていないのでダンスのように身体を動かしているだけです。それでも繰り返していると気を感じるようにはなりますが、感じるようになるだけで、気が強くなる事(練丹)とは違います。「気」を感じることと「気を鍛えること」の区別が出来ていないようです。ちゃんとすると、いわゆる気功(太極拳)の一番最初の動きで自然に立つという姿勢でも、体当たりされてもびくともしない様になれます。 (始めての人でも)

 

☆それから、ハッキリと暖かさや気持ちよさ、実感がわかるようになります。腑に落ちるというのは、言葉ではなく、「実感」なのです

 

 

☆アクティブ・イメージワークは、スポーツや救助訓練などのシミュレーションなどで使われています。

毎日の生活の一つ一つにこれをやると、何気ないような小さな体験でも、活き活きとうれしい瞬間、瞬間を体験できます。

 

以下は、谷ユリさんの感想です。

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8月25日のワークショップの振り返り。

 

とてもゆっくりした気の流れの中で、背骨をしなやかに使って深い呼吸をゆっくり丹田におろします。丹田のあたりが暖かくなってきたのは今までになかった体験でした。そのあと 20分ほど瞑想をしましたが、呼吸も楽で、時間が短く感じられました。それから、丹田に気が入っている防御の型の時、あらゆるところから押されたり、引っ張っても動じないことを体験しました。 つるをおる時に丹田に気を送りながらゆっくり折っていて、折り方を忘れてもたもたしていたとき、路子さんのアドバイスがストンと腑に落ちて、「わあ!」と納得したんだけど、腑に落ちたというインスピレーションが出てきたのも、丹田に気を集中していたからだと思いました。

 最後に「帰り道をイメージして家まで帰ってみましょう。」のワークの振りかえりで、イメージでも石畳のごろごろした感覚や、風の涼しさを感じていることに気づきました。ワークが終わって、本当に自転車で家に帰るとき、石畳の感触を追体験し、風が夏も終わりよとふいているように感じたのがおもしろかった。なんか、とても、贅沢な時間を過ごさせてもらいました。

 

谷ユリ

・・・・・@ka2.so-net.ne.jp

 

 

タオ(道)の道には、いくつかのハードルを超える手伝(ガイド)が必要です。

たいていは、極めて簡単な手伝いですが、ないとなかなか超えられない

たとえば、運動選手がほんの少し小指の力の入れ方をリズムに合わせて

ゆるめる事により、全身の動きが大きく速くなるように!!

Thank you for reading my article.

Love and Peace

安寧

岩崎正春

Prajna Creation

東洋のヒーリング・アートの背景>>1970年代より東洋の様々な・治療体系・瞑想法・練気行法を学び、しだいに教えるようになる。瞑想ヨガの会・(財)禅文化研究所指導「早朝座禅の会」講師などを体験。関西在住の外国人のための瞑想コース・指圧コースをひらく。岩崎針灸・指圧・整体治療院)を開く/

西洋のヒーリング・アート背景>>サンフランシスコの大学院大学 Californaia Institute of Integral Studies:にて、East West PsychologyをPsychosynthesis Training Program にてサイコシンセシスを学ぶ。また、サンフランシスコ州立大ホリスティック・ヒーリング研究所 教育助手も経験、元京都造形芸術大学健康科学センター非常勤講師

hal4life@joy.ocn.ne.jp